一般社団法人 文化知普及協会
The association for diffusing cultural wisdom,a general corporation aggregate
現代世界の不均等発展の特徴とコミュニズム論の課題序説
中国の社会主義市場経済からコミュニズムへの移行論を踏まえて
2019年12月12日 境 毅(文化知普及協会会員)
第1部 現代世界の不均等発展の特色の発見
1.大連海事大学主催、第1回中日韓マルクス主義研究フォーラムに参加して
2019年11月2・3日の二日間の予定で招集されたフォーラムは、主催者の要請で、第一日のみで終了し、二日目はマルクス研究院の学生たちの間での議論をしたいということで、日・韓側は、旅順へのバスツアーとなりました。
中国の大学にはマルクス研究院(学部)があるのですが、大連海事大学は設置されてから8年ということでまだ歴史が浅く、国際会議も今回が初めてだったようです。そのせいか、準備も不十分で、何よりも8月末に提出した報告を翻訳した冊子が出来上がっておらず、当日は、急遽直前に提出を求められた要約のみが対訳で冊子化されていました。
そういう事情で、事前に提出しておいた「社会主義市場経済からコミュニズムへの移行についての原理的考察」と題する9000字の報告は幻となり、要約2000字分が用意されていたのです。私は、要約を要請された時に9000字の内容を2000字に要約することは無理なので、主として『資本論』初版本文価値形態論の第Ⅳ形態の意義について説明した要約を提出していました(その内容は『ASSB』第26巻6号に掲載した論文「マルクス生誕200年にやっと明らかにされた、価値形態論平易化の代償」の焼き直しです)。
報告者は日本側から10名、韓国から1名、中国側からは6名でした。中国側は大学院生クラスの若手でした。一人通訳付きで20分という時間制限があり、私は、結局自己紹介をしながら、かいつまんで幻のメイン報告について概略を述べました。私の報告のタイトルにひかれたせいか、隣に座っていた副学部長の女性が質問してくれました。彼女はずっと私の要約の中国訳を熟読していて、翻訳の間違いを指摘してくれたほどでしたが、質問の内容は流通だけを問題にしているがそれだけではないのではないかという至極当然な疑問でした。幻となったメイン報告には、生産の問題についても協同組合の発達と株式会社の社会化として触れておいたのですが。
フォーラムは大連海事大学に隣接する国営ホテルで開かれ、報告者たち20名が大きな円卓に着席し、周りを同数の学生が取り巻いて聞いているという様子で、学生は圧倒的に女性が多かったです。日本語の達者な学生もいて質問も出ました。
2.中国でのフォーラムは3回目
私の中国での学会参加も3回目になりました。2012年が最初でしたが、そのいきさつについて述べておきましょう。
私は、1970年代半ばから80年代初めまで、ソ連について勉強し(といってもロシア語ができないので日本語文献だけでしたが、当時出版されていたほとんどの文献には目を通しました)、ソ連が、ノメンクラツーラ(特権官僚)が階級となってしまった社会であるという結論をえました。その際に、ソ連における商品生産をどう評価するかという問題についても勉強し『ソビエト経済学批判』にまとめました。その後、『資本論』初版価値形態論の研究から、商品からの貨幣の生成が、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為によることがわかり、そうだとすれば、政治権力の意志の力で、商品・貨幣をなくそうというソ連の試みはうまくいかないことがわかりました。このことを私が解明した直後、ソ連は崩壊してしまいました。
私は、意志の力では商品・貨幣はなくせないと悟った結果、代わりのコースとして、商品・貨幣を生成させないような交易関係をつくりだすことが必要だと考え、このような課題は社会運動によってしか解決しえないということを確信し、1988年には政治運動から社会運動への転身を図り、ちょうど準備が始まったばかりのエル・コープの立ち上げに参加し、その後は社会運動の研究に力を入れてきました。
中国に関心はありましたが、文化大革命の失敗の後、天安門事件が起こり、その経過に失望して、ウオッチすることをあきらめていました。中国語は分からず、その後の経過は新聞報道で理解できる範囲の知識しかありませんでしたが、たまたま2011年に生協のイベントが東京であったときに、社会主義理論学会の「ソ連崩壊20年」のシンポジウムがあり、それに参加したところ、旧知の瀬戸宏さん(摂南大学名誉教授、中国の文芸を研究している専門家で中国語に堪能)と再会し、交流会で、中国に行きませんか、と誘われ、行きたいです、と答えたのが中国を意識した始まりです。
2012年には南京師範大学で第三回中日社会主義フォーラムが開催され、私は十八番のソ連崩壊の原理的根拠について報告してきました。そして、2018年12月には第六回中日社会主義フォーラムが揚州大学で開催され、それには現代資本主義論として負債経済論を報告する予定でした。ところが、揚州大学でのフォーラムに参加することにした後、商品という社会的象形文字を読むという問題の検討中でしたが、『資本論』初版本文価値形態論だけにしか登場しない第Ⅳ形態を転倒させるというアイデアがひらめいたのです。揚州大学では負債経済の話はそっちのけで、この「社会主義市場経済からコミュニズムへの移行」について、報告してきました。そして、2019年11月に予定されている大連海事大学主催の、第1回中日韓マルクス主義研究フォーラムにも参加することとし、同じテーマの報告を準備したのです。
そのような事情で、本格的に現代中国について調べようと思い立ったのは、5月に大連でのフォーラムがあると聞いてからです。それまでは中国共産党の文献すら読んでおらず、あわてて『鄧小平文選』など必読文献の収集をしながら「社会主義的市場経済からコミュニズムへの移行」についてまとめましたが、これから調べなければならない課題がヤマほど積みあがっています。
考えてみれば、商品から貨幣を生成しないような交易関係をつくりだす、ということに関して日本のことしか考えていなかったのですが、現代中国を対象とすることで、ソ連崩壊の原理的根拠から、現代中国の今後の見通しを立てるという大仕事が見えてきました。とりあえずは、信用制度についてはそれなりに勉強してきたので、中国のキャッシュレス化について調べようと思った時に、幸運にも、北京大学デジタル金融研究センター・廉薇、ほか著『アントフィナンシャル』(みすず書房、2019年)が発刊され、『ASSB』第27巻4号に中国のキャシュレス化について、日本政府の第4次産業革命についての見解との対比で書くことができました(「中国のキャッシュレス化と第4次産業革命 日本経済との対比」)。このようないきさつで、私はいま、中国デジタル経済の分析の渦中にいるのです。
3.中国の第4次産業革命によるデジタル経済の現状
中国のデジタル経済の現状についてはすでに発表している「中国のキャッシュレス化と第4次産業革命 日本経済との対比」から概論部分を紹介しておくことにします。
李智慧『チャイナ・イノベーション』(日経BP社、2018年)は、中国の第4次産業革命の進展をたどるための手引きとなります。李はこの本の冒頭で次のように述べています。
「ビッグデータやAIなど先端分野でのイノベーションがなぜ中国で急速に生まれ始めたのかは、十数年前にさかのぼってみる必要がある。・・・中国型イノベーションの大きな特徴は、モバイル決済の普及が起点となっていることだ。」(『チャイナ・イノベーション』、15頁)
そして中国の新しい産業の発展について次のように述べています。
「高速鉄道・・・営業距離2万2000キロメートル、運行本数は一日平均4000本。インターネットによる乗車券購入は64,6%で、7割以上がスマホ経由」(同書、19頁)
「中国のオンラインショッピングの取扱高は2016年で5,3兆元、1元17円換算で約90兆円に達する。」(同書、20頁)
EC(エレクトリックコマース=電子市場)率は、2016年の中国は、15%を超えていますが、日本は5,43%にとどまっています。
毎年10%の経済成長を続けてきた中国も、2010年代に入って低成長になりましたが、その対応策として政府は次の諸施策を打ち出しました。
①インターネットプラス、②大衆の創業(双創)、③中国製造2025、③サプライサイド改革
「インターネットプラス政策は、インターネットとの融合を実現するために、次の四つの具体的な目標を定めた。(1)経済領域では、製造業、農業、環境保護等の産業の構造転換と生産性向上、電子商取引、フィンテック(金融技術)の迅速な発展を図る。(2)社会民生領域では、健康医療、教育、交通におけるインターネットの応用の進化を促進する。(3)インフラ建設においては、ネットワークの更なる普及、クラウドコンピューティング、IOT等の次世代のインフラの整備並びに人口知能の産業化を実現する。(4)発展環境の整備においては、『インターネットプラス』を阻害する体制面の障害を取り除き、公共分野のデータのオープン化の実質的な進展と信用情報システムや関連法整備を実現する。」(同書、26~7頁)
そしてインターネットプラス政策には次の11の重点分野があげられています。
①創業・革新、②協同製造、③現代農業、④スマートエネルギー、⑤金融包摂、⑥公共サービス、⑦物流、⑧電子取引、⑨交通、⑩生態環境、⑪人工知能
さらに、ベンチャー企業創出の条件整備として次のような施策がとられました。
「大手インターネット企業および通信企業に呼びかけ、中小零細企業やベンチャー企業にプラットフォームへの接続、データ、計算能力等の資源を開放し、研究開発ツール、経営管理及びマーケティング等の支援とサービスの提供を促進したことだ。」(同書、28頁)
第4次産業革命の中身はデジタル経済ですが、この定義も次のように決められ、また中国のデジタル経済の規模はアメリカを追い越して世界一となっています。
「デジタル経済とは、2016年の杭州サミットで決まった定義によれば、電子商取引、教育、都市サービス、生活サービス等のオンラインサービス、タクシーなどの配車サービスやシェア自転車に代表されるシュアリングエコノミー、これらのサービスを支えるモバイル決済、認証サービスなどのビジネスインフラと、データを収集するスマートデバイス、膨大なデータを処理するクラウドコンピューティングなどの関連産業を含む。
中国の電子商取引分野は、利用者が4,67億人、取引額は26,1兆元(443,7兆円)に達している。これは世界全体の40%の取引量を占め、世界一の規模である。また、アリペイやウィーチャットペイをはじめとするモバイル決済の規模は、アメリカの11倍に達している。
デジタル経済は中国全土で約280万人(2016年)の新規雇用を生み出し、GDPへの貢献も大きい。」(同書、44頁)
このような中国におけるデジタル経済の発展は「カエル跳び」でこれまでの先進国を追い越したのですが、それは、有線時代のネットワークが未形成のまま、それよりも簡単でより安価な無線のネットワークを瞬時につくりだせたことと、先進国が工業化から高度消費社会に移行し、商業が発達しきるという経過がなしに、工業化の次にモバイル時代になり、モバイルによるデジタル経済の発展が高度消費社会をつくりつつあることを見ておく必要があります。先進国ではEコマースは既成の商業とのシェア争いとなり、GDPで見るとたいした成長にはなりませんが、中国の場合、高度消費社会が到来しておらず、商業も未発達の状態で、デジタル経済が高度消費社会をつくりだしているわけで、この分野での経済成長がもろ、GDPの成長となっているのです。
そうわけで、最後にモバイル決済の進展についてみておきましょう。
「中国のモバイル決済は、2013年を機に爆発的な成長を遂げている。・・・
アップルがiPhoneを発売した2007年がスマホ元年といえる。・・・(中国では)スマホメーカーが台頭して・・・安価な機種・・・若い世代に急速に普及した。
2009年に中国では3Gネットワークの時代に突入した。同年末には、中国独自規格の3G方式であるTD-SCDMAが全国の70%の地域をカバーするようになった。通信インフラでは先進国の後を追いかけてきた中国が、モバイルインターネットの時代に一気に『カエル跳び』を果たし、先進国に追いつき、追い越したわけだ。2010年から2015年にかけて中国人の可処分所得は倍増したが、逆に携帯電話の平均価格は2150元から1800元に下落した。その結果、スマホは中小都市や農村部にも一気に普及した。
2008年まで多くの中国人は、会社のパソコンやネットカフェでインターネットに接続していた。それがモバイルネットワークの整備とスマホの普及によって、2009年を機にネットの利用者が急拡大した。8年経った2018年6月末時点でネットの利用者は8億人を突破した。そのうち携帯電話経由での利用者数は7億8800万人に上り、ネット利用者の9割以上を占めている。」(同書、58~9頁)
アリババが開発したアリペイとバーチャル口座のリリースは2004年でした。このころはまだスマホは開発されておらず、パソコンからのアクセスが一般的でした。しかし、2009年ころからのスマホの普及とスマホからのインターネットへのアクセスが増えるにしたがって、アリババとそのライバルであるテンセントとの電子決済をめぐるシェア拡大競争が繰り広げられます。それが相乗効果を発揮して、モバイル決済が急速に拡大していったのです。
4.現代世界の不均等発展をどう捉えるか
私は、一時期は自らが解明した負債経済論で、レーニンの『帝国主義論』のような著作を考えていました。その後中国のキャッシュレス化を調べるうちに、近代的信用制度そのものの破壊が進んでいるという認識を得たのです。このこと自体はまだ問題化できず、11月の大連フォーラムまでは、中国の国家資本主義のシステムの、市場における改革からコミュニズムへという発想で考えていました。
大連から帰った後、その次のステップとして現代の既存の信用制度の破壊について調べました。ブレット・キングの『未来の銀行』(東洋経済)が大いに参考になりましたが、明確になってきた仮説は、資本主義の現段階での不均等発展が、経済成長(GDP)のような指標や、それに基づくキャッチアップや、雁行的発展といった従来の理解ではとても把握できないような事態が進んでいるということでした。
また従来の指標は、生産過程の変化に注目するものでした。繊維中心の軽工業から重工業への発展段階で、ドイツやアメリカ、日本などの当時の後進国が、巨大な設備投資を必要とする重工業を発展させることで世界を支配しようとし、銀行と産業の癒着した金融資本による帝国主義段階の植民地争奪戦による世界戦争という見通しが、一つのモデルとして強固に維持されていました(レーニン『帝国主義論』の教条化)。しかし、その歴史過程の繰り返しでもないでしょう。
端的に言って、中世のオランダで成立し、イギリスに引き継がれ、以降世界体制となった既成の信用制度それ自体の破壊と新たな制度の構築、という資本主義にとって根底的なインフラの交代の問題が、いま不均等発展の内実となっているのではないでしょうか。
現在の不均等発展は、モバイル革命による、既成の信用制度の破壊と、従来の資本主義の変容を迫る形で進んでいます。このことが先進国における市民社会の変質とポピュリズム政治の抬頭の原因ではないでしょうか。つまりモバイル革命は、後進国である中国で始まり(起点はアイフォン発売の2007年にしておこう)。10年もたたずしてインターネットを利用したデジタル経済で先進国を引き離していきました。そしてこのモバイル革命が、インド、アフリカ等に波及し、いわゆる第三世界は先進国よりもより発達した信用制度を構築しつつあるのです。この事態が先進国に与えている打撃に対して、先進国は有効な反撃を組織しえていません。
信用制度はもともと資本の社会的再配分の役割を担っています。現代の信用制度は、しかし負債経済の拡大によって変容を迫られました。従来投機は、資本の社会的再配分を円滑に行う際の潤滑油として機能していました。しかし、現在では富裕層の富の蓄積の手段とされるようになってきています。また、グローバルな多国籍企業も、タックスヘイブンを利用した脱税で儲けを蓄積し、銀行などからの融資を必要とせず、逆に生産企業がローン会社などの金融業を始めるようになり、企業への貸し付けが減っていきました。こうして、住宅ローンなどの家計への貸し付けの比率が増大していったのです。そしてこの家計の負債の債務証書を証券化する技術が開発され、この消費者の負債を根に持つ新たなハイリスク・ハイリターンな証券が開発され、それが投機目的で売買されるようになったのです。こうして先進国の信用制度は、資本の社会的再配分の機能を失い、それとともに銀行の淘汰が始まっています。この分野で先進国は大きな弱点を抱えているのです。そこにモバイル決済によるネット上の信用制度が従来の「後進国」で急速に発達し、マイクロファイナンスによる中小零細企業の発展を促進し、先進国がたどった経済的発展とは別のコースで経済成長を遂げつつあるという現実になすすべもなく、トランプのように対中貿易戦争を仕掛けるというようなその場しのぎの対策を講じるしかなくなってきているのです。
以上は、現段階における資本主義の不均等発展に対する仮説の提起です。これを踏まえて、問題の中心にある既成の信用制度の破壊と、新たに形成されつつある、モバイル革命によるデジタル経済がつくりだす信用制度の分析が急務です。
5.不均等発展の時代の主体形成、『追想にあらず』寄稿論文の続きとして
1969年に始まる、赤軍派の内ゲバを総括した当事者たちの総括論文集『追想にあらず』(講談社)が出版されました。私も、当事者の一人として自費出版の発起人会に加わり、二つの文章を寄稿しました。この総括論集に寄稿した「政治運動と社会運動とを横断する新しい大きな物語を紡ぎだそう」の方は、革命後の政治の創造の重要性について指摘するとともに、それを共同して開発していく方向性について提起しています。これを書いたのちに、中国のデジタル経済の研究と、それに基づく現代世界の不均等発展についての知見をえました。それで最後に、この独特の不均等発展の時代における主体形成について、問題提起をしておきましょう。
まず、現代中国の把握がポイントですが、先にも触れたように、ソ連では、レーニンが提起したネップが、10年で終結させられ、集団化に向かうのですが、中国のネップは、1978年末の鄧小平による改革開放路線の提起から数えて40年続いているという認識が大事です。レーニンはネップを導入するにあたり、戦時共産主義の統制経済を廃止し、市場を復活(農民による剰余生産物の市場での売買の公認)させたのですが、同時に、プロレタリアート独裁の下での国家資本主義の育成と、外国資本の導入による利権事業の必要性を主張しました。これらの成果が見えないうちに、農業集団化と工業における国有化がスターリンによって上からはかられましたが、中国では、40年かけて、世界の工場となる工業化をなしとげ、そして次の段階の消費社会を、モバイル革命によるデジタル経済の下で開花させてきたのです。
ソ連の共産党が特権官僚(ノメンクラツーラ)化し、階級として形成されたこと、この過渡期社会での官僚の階級への転化という政治力学は中国でも働いています。しかし、ソ連の官僚がネップの当時は旧体制のツアーの官僚とブルジョア専門家によって構成されていたのに対して、中国共産党は内戦時代の赤色区で統治の経験を持ち、現在では、二世三世が担い手であるとはいえ、発達した国家資本主義を下部構造に持つがゆえに、ソ連のような階級形成はまだ進行してはいません。
このような観点を、いま闘争のさなかにある香港をテーマにして主体形成について考察してみましょう。ソ連・東欧の崩壊が始まった1980年代末は、資本主義は新自由主義の発展期で、崩壊したソ連には、ジェフリー・サックスが主導して極端な新自由主義的改革が持ち込まれました。サックスはのちにこれが間違っていたことを認めるのですが、いま香港は、凋落しつつあるアメリカと新自由主義を環境にして、対中国中央政府との闘争を展開しなければなりません。中国に関して言えば、天安門事件は当時の総書記趙紫陽が民主化を目指して仕掛けたのですが、天安門広場を占拠した学生たちは、アメリカ民主主義をお手本にすることができました。しかし、現在の香港の人々にとっては、いまさらアメリカ民主主義でもないでしょう。
ではどうすればいいのか、と言えば革命後の政治を創造するという新しい課題が見えてきます。現代の資本主義は、信用制度を資本主義とは異なる高利資本に乗っ取られ、負債経済を拡大して行っています。高利資本の支配は、社会を荒廃させます。そのことによって、先進国で支配階級は監視社会をつくり、そのもとで不安の情動が掻き立てられることで右派ポピュリズムの政治の抬頭を招いています。このような時代に後進国がカエル跳びで先進国を追い越し、新たな信用制度をデジタル経済の中に組織しようとしているのです。この新しい信用制度がどのような政治力学を働かせるのか、このことに注視しながら、革命後の政治を創造する新しい大きな物語を描き出すこと、いま香港の市民にはこれが問われているのではないでしょうか。
私自身についていえば、政治運動30年、以降社会運動に転身してからも30年が経ちました。社会運動に参与観察するようになってからも、私は、政治運動の総括から要請される国際非合法党の担い手として自己を位置づけてきました。党といっても何も実体はないのですが、要は日本を世界からみるということにつきます。そして今、デジタル経済の最先端を走っている中国から、日本を位置づけようと考えています。日本政府は現代中国の研究に全く手をつけていません。南北朝鮮や、中国の満州、台湾の植民地化時代の偏見がまだ支配階級に残存しているせいでしょうか。そのくせ日本はダメになっているということだけは分かっているようです。たとえば、12月12日の京都新聞一面広告には、佐々木類『日本が消える日』(ハート出版)の広告が出ています。この手の書籍がベストセラーになるのですね。日本がどうすればいいかは、腹案はあるのですが、別稿に託すことにします。
次に、2019年8月に作成し、大連海事大学に送った報告をそのまま掲載します。文体も変わりますがご容赦ください。
第2部 社会主義市場経済からコミュニズムへの移行についての原理的考察
第1章 問題提起
1.現代のマルクス・レーニン主義、毛沢東思想にとっての基本的課題
私は、1959年から30年間政治運動にかかわり、ソ連崩壊の原理的根拠の解明後、1988年から迂回作戦をめざして社会運動の参与観察をはじめ、それも30年になった。その実践の経験にもとづいて、本日の報告を準備した。
原理的な解明を要求している問題は二つある。ひとつは、第一次大戦後のヨーロッパ革命の挫折の問題であり、もうひとつは、1990年代初頭のソ連・東欧の共産党政権の崩壊である。これらの問題の原理的なレベルでの総括を通して、マルクス・レーニン主義、毛沢東主義の原則の再検討をなしとげることが問われている。
ここで取り上げる原則とは、政治権力をとってプロレタリアート独裁を樹立し、商品・貨幣を廃絶していくという、マルクス・レーニン主義の戦術のことである。
ヨーロッパ革命挫折の総括に関しては、史的唯物論の公式のマルクス自身による修正を確認することが必要である。『経済学批判序言』の公式から、『資本論』第24章 いわゆる本源的蓄積、第7節 資本制的蓄積の歴史的傾向、での提起へ。具体的には、「生産力と生産関係の矛盾」論が、『資本論』では、「労働の社会化と資本制的外皮との矛盾」となっていて、これを半面解釈すると、労働の社会化が進展しても、それを包摂する資本制的外皮の社会化が進めば、革命には至らないという理解が得られる。ヨーロッパ革命敗北後の資本主義の事態は、まさに資本制的外皮の一層の社会化の歴史であった。株式会社の普及に始まり1980年代以降のIT技術の発展によるグローバルなプラットホーム企業の抬頭は、労働の社会化を推進しつつも、同時にそれを包摂しうる資本制的外皮の社会化の進展と見ることができる。
次に、ソ連崩壊の総括に関しては、『資本論』初版本文価値形態論と交換過程論にまたがった形で提起されている、マルクスの貨幣生成論に注目することが必要である。そうすれば、商品からの貨幣の生成が、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為によることが判明する。ここから、商品・貨幣の廃絶は、プロレタリアート独裁の国家権力による意志の力では不可能なことがわかる。プロレタリアート独裁の下でも、商品から貨幣を生成しないような交易関係を迂回してつくりだすことが問われていた。
(注)これらについては、榎原均『価値形態・物象化・物神性』(自費出版、1991年)、および、榎原均『「資本論」の核心』(情況新書、2014年)を参照されたい。中文では、拙著「ソ連崩壊の原理的根拠の解明と『資本論』初版本文価値形態論の意義」(『第3回中日社会主義フォーラム、南京師範大学、2012年9月、冊子』(61~69頁)参照。当日コピー配布。
2.マルクス・レーニン主義の戦術の原則の再検討から判明する事態
レーニンが提起したネップは、戦時共産主義の下で行き過ぎた社会主義化を是正し、いったん後退するための政策だった。しかし、戦術の原則の再検討からすれば、ネップについての新しい位置づけが必要となる。
私は、ゴルバチョフがペレストロイカを提起した時に、ソ連はネップに立ち帰ったと評価した。その際に、国営企業を株式会社化し、市場と協同組合企業をプロレタリアートの独裁の下で育成することが課題であった。しかし、政治改革から手を付けたペレストロイカは、ソ連共産党の崩壊を招来し、ソ連邦の解体と共産党政権の崩壊を招いた。
これらの歴史に学んで、天安門事件の試練に耐えた中国共産党は、1978年の改革・開放以降、ネップを研究し、市場の導入をはかり、それを中国特色社会主義と名付けて、社会主義市場経済の建設に取り組んだ。
(注)中国研究者の論文は、劉 誠「レーニンの新しい経済政策と中国社会主義市場経済理論」(『第3回中日社会主義フォーラム、南京師範大学、2012年9月、冊子』(70~78頁)参照。当日コピー配布。
3.現代の資本主義と負債経済
現代の資本主義は、本来の利子生み資本(機能資本家への貨幣の貸付)とは異なる派生的利子生み資本を増大させ、債務をつくりだすことで株式市場をはじめとする投機市場を維持している。この負債経済の拡大によって、資本主義は破局の段階に入っている。破局とは経済危機とは異なる。経済危機とは、短期的なものであり、いったんバブルがはじけ、景気が下降しても次には景気が上向く局面を迎える。破局とは、50年~100年単位で、じりじりと低成長が続く。この間資本主義をリードしてきた新自由主義は、官業の民営化や、負債の増大による経済の低成長によって、意図せずに過渡期経済の領域を拡大して行っている。このような経済の変質は、西欧の諸国家で民主主義の機能マヒをもたらし、ポピュリズムの政治が登場してきている。
(注)中文では、拙著「現代の負債=債務の原理的考察」『第6回中日社会主義フォーラム、揚州大学、2018年12月、冊子』(101~109頁)参照。当日コピー配布。
第2章 社会主義市場経済からコミュニズムへの移行
1.資本主義から社会主義への過渡期の生産様式
この時代の生産様式は、原理的には、協同組合と社会化された株式会社だとされている。生産様式の改革の問題が、現代中国でどのように進展しているかについて論じるだけの知識を持ち合わせていない。いくつか感想的な事柄を述べておくにとどめたい。
ひとつは中国の社会関係資本を分析した范立君によると、協同組合の普及は伝統的なネットワークとの関係で困難ではないかという。この辺は協同組合が巨大な組織となっている日本との違いがあり、将来社会を協同組合的な地域社会という日本での目標が妥当かどうか、判断に迷っている。
(注)范 立君「ソーシャル・キャピタルと現代中国の経済成長」『第6回中日社会主義フォーラム、揚州大学、2018年12月、冊子』(82~91頁)参照。当日コピー配布。
もうひとつの株式会社については、大西広が論じている。ところで、現在ファーウエイの従業員持株会社の評価をめぐって、国際的な論争が起きている。また、日本よりはるかに先行している中国のキャッシュレス化を調査してみると、その仕掛人のアントフィナンシャルは、北京大学デジタル金融センターの調査『アントフィナンシャル』(みすず書房、2019年)によれば、ウォール街の金融企業のように1%の利益のためのものではなくて、99%に奉仕するような仕組みを感じることができた。
(注)大西 広「株式会社による『社会化された企業による社会』としての『社会主義』」(『第3回中日社会主義フォーラム、南京師範大 学、2012年9月、冊子』(137~145頁)。当日コピー配布。
あとは現代中国が社会主義市場経済かそれとも国家資本主義か、という論争問題に簡単に触れておこう。現代中国の下部構造は、発達した資本主義と市場経済である。資本主義の類型としては国家資本主義の範疇に入る。ここから、共産党が政権を握っていても、下部構造が国家資本主義であればそれは資本主義国家であり、民主化が必要である、という認識が生まれてくる。とくに、社会主義市場経済のモデルを旧ユーゴに求めれば、ユーゴの企業は公有で、資本主義的企業ではなかったので、国家資本主義の存在は、市場社会主義とは相いれないという結論となる。
しかし、ロシア革命初期のネップをモデルとすることで、国家資本主義を育成していく市場社会主義の構想を描くことができる。ネップは10年もたたないうちに、スターリンによって収束させられた。集団化と国有化、それがソ連のスターリン体制の始まりだった。
ソ連のネップでも、無意識のうちでの本能的共同行為を不必要とする交易関係をつくりだすという迂回路線を実現することが問われていたと考え、現代中国の社会主義市場経済を、ネップの継承と考えれば、中国の場合は改革・開放が方針化された1978年から数えて、40年になる。社会主義初期段階が100年だとすると、今はなかばとなる。この初期段階を終了させるのは、スターリン的方法では無理だろう。迂回路線がどのようになるかについて検討することが問われている。
2.市場に対する根底的批判――商品という社会的象形文字を読む
はじめに
社会主義市場経済からコミュニズムへの移行が、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を現代的に継承し、プロレタリアート独裁の課題を、商品からの貨幣の生成を不必要とするような交易関係を迂回してつくりだす、という路線として定めるならば、市場に対する根底的な批判が必要である。市場には、商品市場のほかに、労働市場と金融市場とがあるが、ここでは考察を商品市場に限定する。市場の根底的批判のためには、市場が、商品から貨幣を日常的に生み出しているシステムであることの認識が不可欠である。この認識は、商品の価値形態という、超感性的な現象形態の解読によって初めて獲得できるものである。そしてこの認識は、商品の価値形態を社会的象形文字として読むことから導かれてくるのである。
以下に述べる事柄は、これまで誰も試みてはこなかったものであり、私にとっても初めての問題提起である。不十分なところも多々あると思われるが、この場で検討してご意見をいただき是正していきたいと考えている。
商品を社会的象形文字として読むには、いくつかの約束事がある。それは、言いかえれば、社会の中の市場に存在している商品と貨幣の関係を、文字として読むということであり、その際に、貨幣も商品であり、したがって、まずは、貨幣が登場しない商品の関係を考えなければならない。例えば、1万円のシャツ5枚は、5万円の上着と同じ価格であるから、5枚のシャツ=一着の上着、と表現できる。これが商品の価値形態の基本形である。
価値形態論を初めて解明した、マルクス『資本論』初版本文の価値形態には、四種類の形態がある。私は、この四つの価値形態に、新しく三つの形態を付け加えた。初版本文価値形態論では、貨幣形態は登場しないので、交換過程での、人格が介在することでなされる貨幣の生成によって成立する、貨幣形態を第Ⅴ形態とした。そして、さらに、私のアイデアである、第Ⅳ形態を転倒したものを、第Ⅵ形態とする。最後に、第Ⅵ形態が、その進化過程で商品交換をのりこえた形を、第Ⅶ形態とする。再度確認するが、マルクスが述べているのは第Ⅳ形態までで、あとの三つの形態は私が付け加えたものである。では、この七つの価値形態、といっても最後の第Ⅶ形態は、労働に応じた分配であって、もはや価値形態ではないのだが、これらの諸形態を象形文字として読むことに取り掛かろう。
A)第Ⅰ形態(簡単な価値形態)
X量の商品A=Y量の商品B
価値形態とは商品と商品との関係をあらわしたものである。等式を使っているが、数学とは違って、等式の両辺にはそれぞれ意味がある。この場合、商品Aが自分の価値を商品Bで表現しているということで、左辺は相対的価値形態、右辺は等価形態と名付けられている。平たく言えば、左辺の商品Aは、自分の価値を右辺の商品Bで表現している、ということで、商品Aの価値は商品Bに値する、ということなのである。
ここでの問題は、商品Aが、自分に商品Bを等置しているのか、それとも、自分を商品Bに等置しているのか、ということである。後者だと、商品Aは商品Bを同等化しているということで分かりやすいし、それはこの等式を、主語=述語という論理式として読んでいることになり、数式としての等式の通常の理解である。しかし、ここではそうではなくて、商品Aは、自分に商品Bを等置している。いわば相手に判断をゆだねているのであって、つまり商品Aは自分だけでなく、相手も主体として扱っているのである。
マルクスは、二つの商品のこの関係を、商品自体に語らせている。
「商品価値の分析が先にわれわれに語った一切のことを、リンネルが他の商品、上着をと交わりを結ぶやいなや、リンネル自身が語るのである。ただ、リンネルは、自分だけに通じる言葉で、商品語でその思いを打ち明ける。労働は人間的労働という抽象的属性においてリンネル自身の価値を形成するということを言うために、リンネルは、上着がリンネルに等しいものとして通用するかぎり、したがって価値であるかぎり、上着はリンネルと同じ労働から成り立っていると言う。リンネルの高尚な価値対称性は糊でごわごわしたリンネルの肉体とは違っているということを言うために、リンネルは、価値は上着に見え、したがって、リンネル自身も価値物としては上着と瓜二つであると言う。」(井上康、崎山政毅『マルクスと商品語』、社会評論社、21~2頁、『資本論』長谷部訳、河出書房新社、49~50頁、原典56頁、)
つまり、X量の商品A=Y量の商品B、という簡単な価値形態は、A商品の使用価値やB商品の使用価値という目に見える現象の背後に、二つの商品に共通な価値としての同等性を表現しているのだ。このことが、価値の現象形態が、超感性的なものであることの根拠である。
そして、マルクスは第Ⅰ形態の分析では、この共通なもの、商品に対象化された人間労働が、二つの商品の関係でどのように抽象化されていくかという事態抽象の仕組みを明らかにしている。それは、実は、主体と主体との反照関係の分析であるがそれについては立ち入らず、ここでは、価値形態の場合の等式の独自の読み方を指摘して置くにとどめておく。
(注)『資本論』初版の第1章 商品と貨幣、の第1節 商品、は現行版のような小見出しはついていない。内容的にはまず商品の価値の実体を分析し、次に労働の二重性について論じているが、ここで採用されている分析方法は、人間の思考に普通に備わっている分析的抽象である。しかし、価値形態の分析に移ると、マルクス自身、簡単な価値形態は「抽象力をいくらか緊張させてのみ」(『資本論』初版、原典、15頁)把握しうるといっているが、これは商品相互の間の事態抽象が、人間の思考による抽象とは異なることを示唆したものといえる。要するに、価値実体論と価値形態論における抽象作用の違いを知ることが大事である。
B)第Ⅱ形態(全体的な価値形態)
X量の商品A =Y量の商品B
=Z量の商品C
=W量の商品D
=・・・・・・
ここでは、商品Aは、さまざまな商品を価値表現の材料として扱っている。そうすることで商品Aの価値が、さまざまな具体的労働で表現されていることになり、それらの労働の違いが、この事物相互の関係で抽象されて、商品Aが、この関係では、共通な抽象的人間労働として表示されていることが読み取れる。ここに、思考による抽象作用と、商品相互の価値関係による事態抽象との差が表れている。
つまり、第Ⅰ形態の分析では、思考によって事態抽象の仕組みが解明されたが、ここでは、商品を社会的象形文字として読むことで、諸商品の相互関係において、諸商品の使用価値が抽象されているという事態抽象の仕組みが働いていることが理解できる。
C)第Ⅲ形態(一般的な価値形態)
Y量の商品B = Z量の商品C = W量の商品D =
・・・・・・ =
X量の商品
第Ⅱ形態を逆から見れば、この第Ⅲ形態となる。ここでは、商品Aは、他のすべての商品の等価物であり、したがって、諸商品の一般的な等価物として表示されている。一般的等価物としての商品Aの表示は、商品A以外のすべての商品が、共同して商品Aを価値表現の材料として扱っていることの結果である。また、ここで相対的価値形態にある諸商品は、商品Aを仲立ちにして、それぞれがつながりあっていて、私的なものでありながら同時に社会的なものとして表現されている。つまり、諸商品は、私的労働の産物でありながら、社会的に同質なものとしてあるという表現を得たのであり、諸商品は始めて、社会に通用する形態を獲得したのである。『資本論』現行版の価値形態論では、次の第Ⅳ形態は、一般的等価物が、さまざまな商品から金(ゴールド)に固定された、貨幣形態となっている。このように展開されていると、貨幣は人格の関与のない価値形態論の領域で生成するという誤解が生じる。ところが、初版本文には、他には見られない、次の第Ⅳ形態が続くのである。
D)第Ⅳ形態(初版本文第Ⅳ形態)
X量の商品A =Y量の商品B
=Z量の商品C
=W量の商品D
=・・・・・・・
Y量の商品B =X量の商品A
=Z量の商品C
=W量の商品D
=・・・・・・・
Z量の商品C =X量の商品A
=Y量の商品B
=W量の商品D
=・・・・・・・
この第Ⅳ形態は、『資本論』初版本文価値形態論にだけに登場している。この形態は、第Ⅱ形態が併存しているもので、そもそも第Ⅱ形態は、それぞれが小宇宙をなしていて、それの集合体であるこの第Ⅳ形態は、無数の小宇宙からなる商品世界である。これは商品世界という、所有者が登場しない場での価値形態の発展の帰結である。この第Ⅳ形態という社会的象形文字は、所有者が登場しない商品の価値形態論の領域だけでは、貨幣は生成されず、商品世界とは別の領域である商品の交換過程で、商品所有者という人格の登場を待つことで、貨幣が生成されるということを語っているのである。つまり、商品が、他のすべての商品を価値表現の材料として扱うと、商品世界の統一的秩序は生まれない、という事態を表現しているのである。
E)第Ⅴ形態(交換過程での貨幣生成)
X量の商品A=
Y量の商品B=
Z量の商品C=
・・・・・ =
V量の金
第二章 交換過程、でマルクスは商品所有者を登場させる。この人格は、「自分の意志がそれらの物においてある定在をもつところの諸人格」(『資本論』初版交換過程、原典45頁)と規定されている。交換過程に登場する商品所有者は、第Ⅳ形態を受けて、諸商品に自分の意志を宿し、諸商品の第Ⅲ形態こそが、諸商品が唯一社会的形態と社会的妥当性を持つ形態である、という商品の本性に従って、考える前に行動して、金を自分の商品の価値表現の材料とするという、無意識のうちでの本能的共同行為に参加し、そのことで貨幣を生成する。人格が介在しなければ貨幣は生まれることはないのであるが、この点が、現行版『資本論』では隠されてしまっている。
この、初版の貨幣生成論によれば、たとえば、トヨタが車に200万円の価格をつければ、その裏にトヨタがまったく自覚せずに、金を貨幣とする無意識のうちでの本能的共同行為に、参加していることが分かる。つまり、貨幣は、生産物が商品として交換過程で価格をつけて送り出されるつど、生成されているのである。市場が、商品から貨幣を生成するメカニズムであることが、ここで確証される。そして、ここから、貨幣を生成しないような人間の交易の仕方を構想できるのではなかろうか。私が付け加えた次の二つの形態はその素材である。
3.商品から貨幣を生成させない交易関係の構想
はじめに
次の二つの形態は、マルクスの『資本論』初版にはなくて、私が新たに考案した構想である。この構想の骨子は、昨年末の揚州大学での、第6回中日社会主義フォーラムにいたる過程で発案したものであり、今回それを大幅に改善している。
F)第Ⅵ形態(だれもが貨幣形態になりうる=地域通貨=一般市場の外部)
一枚の上着 =
一〇ポンドの茶 =
四ポンドのコーヒー =
・・・・・・・ =
二〇エレルのリンネル
二〇エレルのリンネル =
一〇ポンドの茶 =
四ポンドのコーヒー =
・・・・・・・ =
一着の上着
二〇エレルのリンネル =
一枚の上着 =四ポンドのコーヒー =
・・・・・・・ =
一〇ポンドの茶
現実の一般市場では、第Ⅳ形態の矛盾は、交換過程での、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為によって、貨幣生成の運動として、解決されている。しかし、第Ⅳ形態は、貨幣を生成する一般市場に向かわずに、貨幣を生成しないもう一つの経済が成立しうることを暗示している、と読みとれないであろうか。この観点から、第Ⅳ形態を転倒させて第Ⅵ形態を描いてみよう。この形態で等価形態にある商品の所有者たちは、どのような社会的関係をもつだろうか。
その一つが地域通貨である。地域通貨の場合は、自分の生産物で、他の人の商品が買えるが、それは地域通貨のメンバーが、一般市場の外部で共同体を構成しているからだ。
一般市場の外部に形成されるこの新たな交易関係は、主体相互が分かち合える関係の萌芽が、作り出されていると想定できないだろうか。主体相互の分かち合いが可能な社会システムが、この第Ⅵ形態で示唆されていて、それへの移行が展望できるのではないだろうか。というのも、この形態は資本主義の下でも実現可能である。そしてこの形態の占める領域が拡大していけば、現在の主流である、無意識のうちでの本能的共同行為によって生み出されている本来の貨幣形態の占める一般市場の領域が狭まっていくであろう。
G)第Ⅶ形態(貨幣形態なし=労働に応じた分配<労働証書制>=もはや価値形態ではない)
消費資料 労働提供者
Y量の財B
Z量の財C
W量の財D
・・・・・
=
=
=
=
X量の労働Ⅰ
X量の財A =
Z量の財C =
W量の財D =
・・・・・・・
Y量の労働Ⅱ
X量の財A =
Y量の財B =
W量の財D =
・・・・・・・
Z量の労働Ⅲ
第Ⅳ形態を転倒させて第Ⅵ形態を描き出したが、これはまだ商品の関係である。さらに、それを社会化された労働の関係として、第Ⅶ形態をたててみよう。
社会化された労働とは、個々人が共同体のメンバーになることで実現できる。そうすると、この形態は、マルクスが、コミュニズムの低い段階の分配様式として述べた、「労働に応じた分配」を表示していることが分かる。等価形態の位置にある、各種の労働提供者たち(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)は、社会の総生産物から社会の維持に必要な諸経費(注)を差し引いた後の残りの消費資料を、各人が社会に提供した労働に応じて、受け取ることができる。つまり、この第Ⅶ形態は、社会主義市場経済が、市場をのりこえる構想を描き出す際の素材としての意義、をもっているのではなかろうか。かつての計画経済に代わる、次のシステムへの移行の構想を、ここに読み取ることができる。
いずれにしても、第Ⅳ形態を転倒した第Ⅵ形態の形と、さらにそれを進化させた第Ⅶ形態まで含めたこの社会的象形文字の図一枚で、貨幣の生成と、貨幣生成のない社会の富の仕組みが表現できる。伝統的な左翼の革命論である、権力奪取の発想からは、現実に存在している、社会主義市場経済からコミュニズムへの移行を構想できない。マルクスの時代には、社会主義市場経済は存在しておらず、またその構想もなかったが、しかし、『資本論』初版本文価値形態論には、その処方箋が描かれていたことになる。いまこそ、この処方箋を具体化していく時ではないだろうか。
(注)周知のようにマルクスは『ゴータ綱領批判』で、控除すべき諸経費について次の6項目を挙げている。①消耗された生産手段を置き換えるための補填。②生産を拡張するための追加部分。③事故や天災による障害等に備える予備ファンドまたは保険ファンド。④生産に属さない行政費。⑤学校や衛生設備のような、いろいろな欲求を共同で満たすのに充てられる部分。⑥労働不能者たちのためのファンド。
(『ゴータ綱領批判』から今回の補足)
「ここでは明らかに、商品交換が等価の交換であるかぎりで、この交換を規制する同じ原則が支配しいている。内容と形式はかわっている。なぜなら、変化した事情のもとでは、誰も自分の労働のほかにはなにものもあたえることができないから、また他方では、個人的消費資料のほかにはなにものも個人の所有にうつりえないから、である。しかし、個人的消費資料が個々の生産者の間に分配されるときには、商品等価物の交換の時と同じ原則が支配し、一つの形の労働が、他の形のひとしい量の労働と交換されるのである。
それゆえ、平等な権利は、ここではまだやはり原則上、ブルジョア的権利である。もっとも、ここではもう原則と実際とが衝突することはないが。・・・
このような進歩があるにもかかわらず、この平等な権利はまだつねにブルジョア的な制限に付きまとわれている。生産者の権利は、彼の労働給付に比例する。平等は、ひとしい尺度で、すなわち労働で、測定される点にある。
・・・この平等な権利は、不平等な労働にとっては、不平等な権利である。・・・」(『ゴータ綱領批判』国民文庫版、43~44頁)
● 労働に応じた分配、労働証書制は、市場とつながっていることがここで表明されているのではないか。
いずれにしても、無意識のうちでの本能的共同行為による貨幣生成論、つまり、生産者が自らの財やサービスに価格をつける行為の背後に、そうとは意識はせずに、金を貨幣にする共同行為への参加がある、という真実はどのようにすれば理解されるのか、ということについて議論したい。理解されるのが無理なら、理解なしでも貨幣を生成させないような交易関係をつくりだす運動ができる、ということでもいい。
参考文献
結城剛志『労働証券論の歴史的位相:貨幣と市場をめぐるビジョン』本は品切れだがネットで読める。
結城剛志「背理の先に何があるのか――反資本主義、労働証券、労働者自主管理」(『経済理論』第49巻第3号)これもネットで読める。
● 大連でのフォーラム当日に配布した、第3回中日社会主義フォーラムおよび、第6回中日社会主義フォーラムの報告冊子からのコピーは、メール版『ASSB』第27巻3号別冊として、オフィス榎原のサイトに掲載しています。「メール版ASSB」で検索するとヒットします。