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                                                   リトアニアの教員ストライキ ヘンリック・コズラウスキー 脇浜義明訳

 出典:Henryk Kozlowski, Scope and Militancy of Teachers’ Strike Shocks the Ruling Class, ,In Defence of Marxism[1]

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

  解題

 2018年春に米国の「赤い州」(共和党支持州)で教員ストが起き、今年それが西海岸に波及、大都市ロサンゼルスでも教員が、教育合理化、教育予算削減、学校民営化に反対してスト、生徒の親と地域社会がそれを支援している。単にデストピアに抗議するだけでなく、学級定員縮小、養護教員増員、図書館の拡大・充実、カウンセラー増員、黒人生徒への警察監視の中止などを求めているストである。面白いのは、教育民営化のモデルであるチャータースクールでも教員ストが起きていることだ。

 米国の教員ストについては、日本でも一部メディアが小さく報道したが、昨年末からバルト海沿岸の国リトアニアで教員ストが一か月近くも続き、政権を揺るがしていることは、まったく報道されていない。ヨーロッパで右翼政権の誕生が伝えられるが、それに対する民衆の抵抗もあるのだ。以下リトアニアの教員ストを翻訳紹介する。 脇浜

 

 

 リトアニアは前例のない教員ストで国中が揺れている。教員ストは今日で4週目に入り、支配階級と政治家・議員たちは恐れ、狼狽し、疲労困憊している。サウリュス・スクヴェルネリス首相は教員から嫌われているユルギタ・ペトラウスキネ教育科学大臣の更迭ばかりか、他に文化や環境を担当する二人の大臣の更迭に追い込まれた。

 教員の運動の急進化はスクヴェルネリス右翼政権を窮地に追い込んでいる。40校から始まったストは今や100校に拡大、リトアニアでは数十年間見られなかった戦闘的労働運動が展開されている。何よりも重要なことは、国民の幅広い層がそれを同情的に見て、熱心に支持していることだ。このままストが続くと政権崩壊につながるかもしれない。

 どうしてこういう事態になったのか。スト教員たちの要求項目のほとんどは、政府が提案するいわゆる「改革」に関するものである。「改革」というが、内実は教員の労働条件の改悪である。政府は「定年までの地位保障」(tenure)に基づく新勤務モデル案を提案している。それは、賃金計算を時間単位の勤務に基づいて支払うことを廃止し、分単位の勤務査定で支払うというもので、教員は分刻みで仕事内容を記録して報告しなければならない。目的は給料を減らすことで、現在政府が直面している赤字を教員など労働者にシワ寄せするのだ。資本主義がもたらす危機を労働者階級を犠牲にして乗り切ろうとしているのである。リトアニア教職員組合のアンドリュス・ナヴィカス委員長は次のように語っている:

 「提案されているのは終身雇用給与体系なんかではなく、教員の賃金計算を時間単位から分単位に切り替えることで、校長も一般教員も自分が行う一つ一つの仕事を分毎に区切って記録して報告し、その分毎の作業だけを給与の対象とするやり方である。しかも、年初めに作業計画表を提出しなければならない。実際に仕事に従事する時間を分刻みに報告するのである。」

 

 当然、この馬鹿々々しい抑圧的・搾取的政策に反対する声が高まり、運動化した。規模的にも戦闘性においても雪だるま式に大きく急進的になった。過重労働や学級定員の多さなど労働条件に対する不満・抗議が加わり、ストはそれを代表するシンボルとなった。新しい要求も加わった。給料を2019年1月以前の水準より20%引き上げる要求である。労働組合幹部はこれらの不満・抗議・要求を全部取り上げ、それらが充たされるまで闘いを続けると宣言した。

 セイマス(リトアニア議会)の右派議員たちはこれらの要求を無視するだけ。政府も組合側の交渉要求を拒否。2019年度国家予算には防衛費増[2]が織り込まれていたが、教員の要求に応じる予算措置はゼロ。スクヴェルネリスとその道化から成る政府が成立したのは2016年の総選挙で、リトアニア社会の最も恵まれていない層を喜ばすようなポピュリスト的公約をばら撒いて勝利したからである[3]。しかし、政権に就くやたちまち本性を顕わにし、貧民層を馬鹿にし、労働運動を弾圧した。労働者に公然と敵対する政策を打ち出したのである。これは政権にとって命とりになる、自殺行為であろう。首相は(米国政府を見習って)[4]、「リトアニア国内で起きていることはクレムリンの画策」として、自らの失政を外部の脅威に責任転嫁している。ロシア政府が首相の右翼保守政党「リトアニア農民・緑同盟」を政権の座から引き摺り下ろそうとしていると言うのだ。

 スクヴェルネリスらは、民衆を騙して政権に就いたのだからすぐに民衆の支持がなくなるかもしれないという発想をしなかった。政府に敵対しているのはクレムリンとその手先だけで、生活や労働条件悪化に不満を持つ一般の国民だということを理解できないし、理解しようとする気もない。こういう思い込みは余命の短い政権の特徴である。

 2018年12月16日の首都ヴィリニュスにおける数千人規模の抗議デモの後、スクヴェルネリス首相は、プーチンの陰なる工作と闘うという口実で、国家安全保障装置を使ってこの状況に対処すると宣言した。自国の教員の運動をプーチンの工作と決めつけるのは誹謗である。

 「農民・緑同盟」のカルバウスキスは首相の国軍使用決定を支持した。

「私は極秘扱いになっている公文書を読んだだが、首相が軍を利用しよう

とする根拠は十分ある・・・これは国家安全保障への脅威であり、その

脅威を投げかけている国がどこかははっきりしている。わが国の軍は国家

に対して責任をもって行動しなければならない」と言った。

 現在の状態を国家安全保障への脅威と呼ぶのは、教員への誹謗をいっそうドラマチックに高める仕草で、それは政府の焦りである。しかし、労働運動の評判を悪くしてそれを叩くために、隠微な形で国軍を使う可能性は否定できない。我々は警戒を怠ってはならない。しかし、現段階でスクヴェルネリスが国軍など国家の暴力装置を直接的に野蛮な形で使うことは、一般的には考えられない。とはいえ、最近30人ほどの教員が教育科学省の庁舎に入り占拠して、業務妨害を行う事件があったとき、政府は危険を招く恐れがあることをまったく考慮しないで暴力的に強硬排除したので、あまり楽観視はできない。議会の安全保障・防衛委員会のヴィタウタス・バーカス委員長は次のような意見をフェイスブックで公表した。

 

 「私は軍出動や抗議する国民をテロリストと呼ぶことに同意しない。しかし、行動が必要なときに見て見ぬ振りをするのは服務倫理に反する。少なくとも警察が状況を正しく把握して、法違反があれば違反者にその旨を知らせて是正させることが必要であろう。」

 

 基本的にはこのコメントは、教員の運動と労働者階級にとって量的にも質的にも有利な階級的勢力バランスを反映するものである。リトアニアの圧倒的大多数を構成する労働者階級は、スターリン主義時代の苦い経験があるので、国家と国家の暴力装置がとんでもない残虐行為を行う可能性があることを、分かり過ぎるぐらい分かっている。彼らが歴史の奥に葬られたと思っている国家の暴力を再びみるようなことになれば、教員ばかりか労働者階級全体が国家と対峙することになるだろう。そんな事態になれば現政権の寿命は風前の灯である。

 それにも拘らず、政府は国軍を出動させるぞという、非常に危険な「火遊び」のような脅迫をしている。このスクヴェルネリスの無思慮な対応に関して、ブルジョア的評論家も頭を抱えている。実際、支配階級内部に分裂徴候が目立ち始めている。グリバウスカイテ大統領は、「事態はどんどん手に負えなくなっている。政府が改革を「高慢な態度」で強行するからだ」と述べ、ドムブリアウスカスも政府に反対して、次のように述べた。

 

 「彼(スクヴェルネリス)はますます旧時代の不機嫌で怒りっぽい警官のように振る舞うようになり、総理大臣であることを忘れているようだ。もしもっとストライキが拡大し、彼が同じような態度を取り続けるならば ― つまりストライキ当事者の言い分を完全無視し続けるならば ― 内閣の長としての寿命は長くはないだろう。」

 

 これらのコメントから明らかなのは、政府が危機的な混乱に陥っていることだ。しかし、ここで強調しておかねばならないことは、スクヴェルネリスを非難するブルジョア的政治家も評論家も、スクヴェルネリスと同じ階級的利益を代表していることだ。だから単にもっと「有能で」「交渉ができる」指導者に首を挿げ替えればよいという問題ではないのだ。指導者の変更で資本主義を死滅への道から救い出すことはできない。アンゲラ・メルケルは20年近く首相として頑張ったがドイツで次第に深まる危機を阻止できなかったし、フランスで「中道主義的救世主」として登場したマクロンも黄色いベストの発生を防ぐことはできなかった。

 つまり、教員ストはリトアニア社会内奥に巣食う根底的な病魔の兆候である。今や世界全体を脅かしている病魔と同じもの、資本主義制度の全般的危機に起因している病魔である。野党政治家はこの状況から政治的資本を引き出して有利に立とうとする。最大野党のキリスト教民主党がその一つである[5] 。しかし、階級闘争が激化すると、彼らはスクヴェルネリスや支配階級の連中と同じ陣営に立つ。教員運動が粘り強いのはブルジョア的運動ではなくプロレタリアートの闘争方法で行っているからである。キリスト教民主党はその闘争方法をスクヴェルネリス一味と同じように軽蔑の目で見下している。

 現在教員運動は勢いに乗っている。教育文化省庁占拠のフェイスブック映像は数千人の人がシェアした。人口300万人のリトアニアで。占拠支持のデモが毎日あった。氷点下の寒さの中で数百人の人々が毎日集まったのだ。それは人民の不屈の闘争心の表れで、それが12・16の6千人首都デモに繋がっていった。

 ついに大統領は「改革」に対する修正案を議会に提出し、12月18日、議会は圧倒的多数でそれを可決した。しかし、この調停努力はあまりにもお粗末であまりにも遅すぎた。修正が実効化するのは2019年9月で、その内容も、最初に教員に課した縛りを若干断念するだけのもので、すでに実行されている改革をちょっと単純化するだけのものであった。リトアニア教職員組合のナヴィカス委員長は、「こんな修正ではストライキを辞めるには不十分」と言った。

 従って、ストは「少なくともクリスマスまで」は続くだろう。基本的には、ストは、長年にわたって水面下で積もり続けてきた深い不満と怒りがついにそれを表現した突破口なのだ。それはフランス、英国、スぺイン、イタリアで政治的地震として表面に現れた民衆感情と同種のもので、それがリトアニアでも、あるいは他の東ヨーロッパでも表面化しつつあるのだ。基本的には、労働者が抱える根本的問題は資本主義では解決できないことを表現している。労働組合の指導者は、教員の闘いはリトアニアの労働者階級全体の闘いであり、そうならなければならないことを、心に命じるべきだ。中には労働運動と政治とを切り離す労組役員がいるが、階級闘争と政治とは切り離すことはできない。階級闘争は常に政治的である。それは二つの決して相容れることができない、労働者の利益と資本家の利益の衝突であるから、政治的にならざるを得ない。経営者との妥協とか階級政治を持ち込まない労働運動は、それ自体一つの運動姿勢ではあるが、それは資本家にとって有利であるが労働者にとっては不利な運動姿勢である。一方、階級的な闘争は政治権力のバランスを労働者にとって有利な方向へ変化させる可能性がある。

 教員の要求を完全実現するためには、大胆な階級的プログラムのもとでリトアニアの労働者階級全体を最大限に動員することが必要である。この闘いに完全勝利するためには、根本的問題、つまり資本主義を歴史のゴミ箱へ葬り去り、リトアニア及び世界の労働者階級が政治権力を握り、富と生産が民主主義的に計画・配分される新しい社会を建設するというビジョンを抱いて、闘いを続けることが必要だ。

 国際マルクス主義潮流はリトアニア教員の闘いの成功を祈り、心からの連帯を表明する。あなた方の闘いは我々の闘いだ。万国の労働者よ、団結せよ!

 

​​  訳注

[1] ロンドンに本部を置くトロッキスト組織国際マルクス主義潮流のウェブ雑誌。戻る

[2] その一つが、2019年度から19歳の若者を対象とする国民皆兵制度を法制化する予定。戻る

 

[3] スクヴェルネリス率いる右派保守政党「農民・緑同盟」は、2016年総選挙で、それまで政権の中心だった社会民主党の汚職や雇用政策を批判し、ポピュリスト政策を掲げて第一党に躍進、政権を握った。言い換えると、米国と同じように、社民的リベラル民主主義の偽善から生まれた怪物である。戻る

 

[4] 駐屯米軍を保護する地位協定を結び、国家安全保障戦略を改訂してロシアを「重要な脅威」とし、ロシアとの国境沿いに600万ユーロも費やして壁建設を進めている。戻る

[5] ヨーロッパやラテンアメリカに存在する。ヨーロッパのキリスト教民主党は経済的に右傾化し、ネオリベラル的ではあるが、所得移転で格差の改良という主張は捨てていない。ラテンアメリカのキリスト教民主党はやや左傾化。しかし、どちらも資本主義を否定しておらず、キリスト教社会主義党とは犬猿の仲である。戻る

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サウリウス・スクヴェルネリス首相の政府は、人気を失うかもしれないという考えを受け入れることができない。/画像:パブリックドメイン

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